皆さんが記憶に残る風景はなんですか?海の風景、山の風景、町の風景など様々だと思います。

私は島根県の人口約7000人の小さな町で生まれ育ちました。幼少期の町並みはセメント瓦でできた住宅が連なる風景でした。セメント瓦は、セメントと川砂を1:2~1:3の比率で混ぜ合わせて作られた瓦です。陶器瓦よりも製造しやすく価格が安いため1970年~1980年の住宅不足だった高度経済成長期によく使われていました。既に他界した父は、祖父が始めたセメント瓦の製造・施工・販売をする会社に勤務していました。私が小学校低学年の頃、セメント瓦の製造過程に惹かれ、夏休みなどよく父が務める工場について行ってその製造風景を見学していました。何種類もある瓦の形状を見て魅力に感じました。

セメント瓦の屋根

しかしセメント瓦は耐久性が低く30年程度、また破損しやすい=雨漏りにもつながるため、住宅の屋根は島根県石見地方で製造される陶器製の石州瓦が主流となっていきました。石州瓦は主に、黒瓦、銀黒瓦、赤瓦の3種類の色彩があります。私が住んでいた島根県東部地方は黒瓦・黒銀瓦が多く、西部地方は赤瓦が主流なので、東部と西部ではまるで風景が違います。色彩の色こそ違えど、まとまりのある色彩の住宅群を眺めると、ほっとする気分になったものでした。日本家屋の集落が私にとって記憶に残る風景です。

黒瓦・銀黒瓦の街並み

赤瓦の街並み

石州瓦が主流になると、父の会社はセメント瓦の製造は取りやめ、石州瓦を製造する工場から取り寄せ、それを施工する業務形態に変化していきました。その頃は、父親経由で木造住宅の上棟式の情報を聞きつけ、餅撒きがあちこちで行われていました。その餅拾いを楽しみにしていました。たまに鏡餅や、金銭の入った袋が投げられ、それを拾うと心が浮き立つ感覚でした。

このように、私は幼いころから建築住宅の存在が身近でした。大人になり、将来について色々考えているときに、これらの記憶が鮮明に思い出され、建築を施工する立場ではなく、建物を自分の頭で考え図面化し、それを世の中に生み出し皆に喜んでもらえる建築設計の仕事をしたい、と思いました。その思いがどんどん強くなり、建築を学びおかげざまで建築設計の仕事に就くことができ、職場・仕事の環境が変化しながらも、建築設計の仕事を続けています。父親に建築の仕事を勧められたことは一度もありませんが、父の背中を見て育ったからこそ、今の自分がいるのだと思います。幼少期の記憶や風景は年月が経っても忘れないものですね。

長尾